実は私には外見的にコンプレックスに感じていることがあります。
お金をかけて整形することも正直考えてみたこともあります。コンプレックスから解放されてもっと自由に人生を楽しみたいと思っていました。
ある時、ある人から、「お金をかけてコンプレックスをなおしたら、何がしたいの?」と聞かれた時に、私は答えに詰まってしまいました。
もう結婚をして子供もいて、コンプレックスがあるから恋愛ができないわけでもなく、おしゃれをしたところで、それは私の気分を上げるためであって誰に見せるためのものでもありません。
そもそも、コンプレックスを感じているのは、私であって、他人にとってはどうでも良いことです。
そう思った時、改めて気づいたことがあります。
全てのことに意味があるとしたら、私がこのコンプレックスを持って生まれてきたことにも意味があるはずで、このコンプレックスは、私にとって必要だからあるのではないかと思ったのです。
つまり、コンプレックスを持つことで、私が私を守ろうとしているのでははないかと。
例えば、コンプレックスかあるかわりに、他の部分は人よりも美しくなろうと、肌については保湿や新陳代謝を心がけるだけでなく、体の内側からも美肌を保つために、体を温める食材を食べたり、添加物を取らないようにするなど、人よりも気を遣っていると思います。
コンプレックスはなおしたい。
でも、コンプレックスには意味があるのだとしたら、コンプレックスこそ、なりたい私になるための手段なのではないでしょうか。
コンプレックスのある今の私そのものこそ実は最も私にとって完全な形であって、もっと私自身が私に感謝すべきではないかと思ったのです。
それに気づいたら、私がそうであったように、あなたもあなたを愛せずにはいられないはずです。
どんな私でも、それには理由があるはず。
私よ私、今の私でいてくれてありがとう。
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